N°26 コーヒーとナポレオンについて。

コーヒーについて

映画ナポレオン
コーヒーは何杯飲む?
ストーリーにどうコーヒーは影響してくるのか?

明日!公開です!

①:ナポレオンは、大のコーヒー愛好家

:プライベートは、もちろん軍事中でも欠かさず
 ナポレオン軍の将校たちは、
 コーヒー調達にも尽力し戦場でも欠かせませんでした。

②:ナポレオン軍のコーヒー大量消費

:ナ軍の兵士たちは、戦場で活力を保つ為に
 頻繁にコーヒーを飲み、戦闘と共に
 ”コーヒーの生産と輸送”の確保も
 重要な軍事作戦の一つ。

③:ナポレオンとエジプトのコーヒー豆交換

:1798〜1801年のエジプト遠征の際、
 エジプトを占拠しエジプトのコーヒー豆と
 コーヒー文化を発見し、
 エジプトのコーヒー豆と
 エジプトコーヒーをフランスへ持ち帰った。

④:(時には)外交の場で脅しの道具にも。

:1797年、ウィーンに入城したナポレオンは
 講和条約を拒み続ける
 オーストリア政府の使節団に
 「心胆を寒からしめる恫喝を加えた」
 ナポレオンは、手にしていた
 コーヒーカップを床に落とし、
 カップが粉々に砕けるのを見せ
「余は貴殿方の国をこの様にもできるのである。」と言い放った。
 結果、条約調印に応じた。

:ナポレオンはコーヒーまでも
  政策のバロメーターに。

(イギリスを経済的に追い詰める為)

:ドイツ神聖ローマ帝国を解体後、大陸封鎖を命じた際、
 大西洋、地中海、バルト海を
 封鎖されるにあたってコーヒーの供給も止まり
 値段も高騰するのは、目に見えていた。
 だが、その海の向こうの

イギリスの物価表を絶えず見ていた。
イギリスで、金が高くコーヒーが安くなっていることがわかったナポレオンは、
封鎖が滞りないと満足していた。

:コーヒーに負けたナポレオン

:大陸封鎖のせいで、砂糖やコーヒー不足にヨーロッパ大陸全体が嘆いた。

ドイツでフリードリヒ2世のコーヒー禁止令時代に考案されたチコリやタンポポの代用コーヒーがフランスなどでも普及した。
 大陸封鎖は、完全に失策でイギリスに
 大した損害が無かったばかりか、
 イギリス工業製品や他国からの輸入品を求める
 ヨーロッパ諸国やフランスの不満が募り
 ナポレオン自身を失脚に招くことになった。

⑦:人や戦争、経済ではなく…
  自身が最も愛したコーヒーに
  殺されたナポレオン。

:最後は胃病になり、
 医者に何度も何度もねだって
 やっと…スプーン一杯分のコーヒーを飲めた…
 そんな晩年であった。

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↑の映像が、気になる方は、YouTubeにて

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